2022年6月19日
1880年(明治13年)8月、突然十勝の奥地にトノサマバッタの大群が発生し、日高から胆振に入り、一群は海岸沿いに蛇田方面に、一群は札幌方面を襲いました。このバッタが大発生した時に、卵や幼虫を積み上げて、その表面に土を厚く盛り上げて打ち固めて生き返らないようにしたものが「バッタ塚」と呼ばれるものです。
2021年10月30日
日曹炭鉱は、豊富町の中心街から東に15kmほど離れた山奥にあった炭鉱で、道北の炭鉱群(天北炭田)の中では最も規模が大きいものでした。1936年(昭和11年)に日曹鉱業株式会社が鉱区を買収し、翌年より第一坑で採炭が開始されました。
2021年10月17日
曲渕炭鉱は稚内市の山間部にかつてあった炭鉱で、北海道の道北にあった天北炭田の中では比較的規模の大きな炭鉱で、稚内炭鉱と宗谷曲渕炭鉱の2つの鉱区からなります。いずれも1940年(昭和15年)に開鉱、稚内炭鉱は1958年(昭和33年)に、宗谷曲渕炭鉱は1963年(昭和38年)に閉山しました。
2021年5月14日
根室市を流れるハッタリ川の河口、ハッタリ浜と呼ばれる海岸沿いに古びた施設があります。この施設はかつて、根室と北方四島の国後島を繋ぐ海底ケーブルの陸揚施設として使われていた建物跡で、明治時代に旧逓信省により設営されたとされています。
2021年5月29日
敏音知(ピンネシリ)岳は、中頓別町にある標高704mの山で、登山道が整備されている山としては、北海道の最も北に位置します。ピンネシリはアイヌ語で「男山」を表し、対になるように近くには「女山」の意の松音知(マチネシリ)岳があります。
2021年5月16日
ペリーが黒船で来航した翌年の1854年に、徳川幕府は日米和親条約を締結し下田と箱館を開港。箱館奉行所は、開港に伴う外国船への燃料供給のため、1857年年に現在の白糠町にある岬「シリエト」に石炭の採掘場を開きました。これが北海道での最初の炭鉱開発で、いつしか石炭岬と呼ばれるようになりました。
2021年5月9日
食事処やませは、地元産のホタテ料理が食べられる食事処の一つで、ライダーハウス(バイクや自転車で北海道を旅する人向けの簡易宿泊所)も営んでいます。国道238号線沿いにポツンとあるオレンジ色の建物が目印。
2021年10月9日
戦後復興のための石炭増産の動きの中で、白糠でも旧坑跡地での開坑を含め、新坑が次々を開かれました。
新白糠炭鉱もその一つで、1946年(昭和21年)より旧白糠炭鉱跡地で個人で手掘り採炭を行っていた今野滝雄氏が、1947年(昭和22年)に三菱鉱業株式会社から鉱区使用権を得て採炭を開始しました。
2021年5月24日
1989年に廃線となった国鉄天北線に「飛行場前駅」という名の駅がありました。天北線の線路が通っていた部分は、現在はサイクリングロードになっていますが、道路脇には駅跡が残っていて、「飛行場前駅」も笹に埋もれた木造のホームと駅標の枠が確認できます。
2021年6月29日
西の河原(さいのかわら)は北海道古宇郡神恵内村にある霊場で、カムイミンタラ(アイヌ語で神の遊びし処の意)とも呼ばれます。積丹半島を一周する国道229号線が全面開通するまでは、最寄りの集落からでも1日がかりで歩かないと行くことができない秘境の地で、巡礼者は船に乗ってこの霊場を訪れていました。